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導入
霊塔寺は、雄大な古木と松林に囲まれた、千年の歴史が感じられる伝統寺院で、唐津市沔川面城下里の村の北側の象王山の麓に位置しています。
霊塔寺は、統一新羅末期に道詵国師によって創建されたと伝えられていますが、明確な根拠はありません。高麗中期には、普照国師の知訥が今の大方の前に五層石塔を建て、霊塔寺としたそうです。その後、無学大師の自超が、現在の法堂の場所にあった天然岩石に仏像を彫刻して寺を再建し、大方の前にあった五層石塔を法堂の裏の岩の上に移しました。
8世紀中頃の『輿地図書』には「霊塔寺は郡の西5里にある」という記録があり、朝鮮後期に寺院が存在していたことが確認できます。また、1988年には大雄殿が建て直され、現在に至っています。
現存する建物としては、大雄殿、瑠璃光殿、山神閣、寮舍寨2棟などがあります。もともと大雄殿には宝物第409号に指定された金銅毘盧遮那仏三尊坐像がありましたが、1975年の盗難と回収以後は、別に設けられた空間に保管されています。
また、大雄殿には忠清南道文化財資料第219号である梵鐘があります。そのほか、瑠璃光殿には忠清南道有形文化財第111号に指定された薬師如来像が祀られており、その後ろの岩の上には、忠清南道文化財資料第216号である霊塔寺七層石塔が建てられています。

この仏像は高麗時代に作られ、人間の病気と不明な病気まで治すという仏です。高麗末期に無学大師が寺を巡ると、奇異な岩が光を放っており、尋常ではないと感じたため、ここに薬師如来像を彫刻し、国と民の安寧を祈ったと言われています。

朝鮮正祖22年(1798年)に鍊岩堂の智允僧侶が岩に5層の塔を建てた後、寺の名前を「霊塔寺」としました。本来は7層の石塔でしたが、その後毀損して5層だけが残っていたのを、1920年代にこの寺の信徒たちによって再び7層の姿が取り戻されました。